忠敬翁はこれまでもみてきたとおり、地域の指導者として、一般の住民と支配権力との間に立って、さまざまの交渉を展開していました。今回は、忠敬翁が支配権力に対してどのような想いをもっていたか、地域の秩序維持をどのように図ろうとしていたのか、旗本用人への想い、天明の飢饉状況のなかであらわれた意識を例にして、書簡や記録類からみていきましょう。

○近世後期の佐原村の運営

近世後期、入り込み商人たちがたくさん参入してきていた佐原村では、その運営方法はどのように変化していたのでしょうか。前にも述べましたように、商工業者たちは、業種ごとに酒造や醤油醸造をはじめ「仲間」という同業組合を作っていました。それぞれの同業組合の仲間には、「行司」が置かれて組織的に運営されていました。前に述べた「町(町内)」が、土地や屋敷をもたない借家人たちも含んだ住民組織として成立し、「町代」「町行司」といった役がいて運営されていたのと同様でした。

このように都市化が進んできた近世後期の佐原では、それまでの村型の運営体制では立ち行かなくなっていました。下図に概念図で示しましたが、「百姓―村組の名主・組頭・百姓代」という旧来の農村型の行政組織に加えて、同業組合の「仲間」や住民組織の「町(町内)」も結合して自治的に運営されていたのです。

第15回運営図

18世紀後半から形成された佐原の運営系統概念図

 

○旗本用人の政治姿勢の評価

忠敬翁は前にもみてきましたが、旗本領主と地元佐原村の名主たちの間に立って「村方後見」の立場にありました。寛政6(1794)年、佐原村の旗本領主津田氏の用人渡辺氏が、年貢米の取立てに佐原へ出張してきました。このときの書簡に、翁の支配者に対する意識が記されていますので、以下でみておきたいと思います。

伊能忠敬自筆書簡

伊能忠敬自筆書簡 第21巻2号    (伊能忠敬記念館蔵)

この頃、多くの旗本は財政が悪化しており、収穫後に徴収する年貢米まで待てず、年貢を前倒しして現金で納入させる「先納金」を村側から受け取っていました。収穫後に収集した年貢米は地元で売却され、その代金で先納金の決済をすることが通例となっていました。けれどもこの年、旗本津田氏の用人は、江戸の米相場の高値を引き合いにして、徴収した年貢米を江戸へ廻米するよう佐原の村役人へ指示してきました。これに対して佐原の村役人一同は、江戸への廻米は不承知と決心し、旗本用人との交渉は手間取っていたようです。忠敬翁はこの書簡で、旗本側の姿勢を「弱ものには強く、強ものには弱い」とその主体性のなさを批評しています。支配権力を相対化する自立的な精神がよく表れています。

 

○天明飢饉への対応

またこれより先、天明7(1787)年の飢饉における危機状況への対応が、前出の「旌門金鏡類録」(第二冊)に記録されています。忠敬翁と商人たちのやり取りを以下に示します。

 

未(天明七年)五月中、米穀がなくなって甚だ高値になり、江戸は打ちこわしなど騒々しいと聞く。また地方でも人口の多い所は 騒々しい。このように治安が乱れた危機的な状況に対応して佐原の商人たちは、江戸の旗本へ出願して役人を佐原へ派遣してほしいと、翁に内々に要請してきた。これに対して翁は、次のように回答した。役人が逗留中の賄の経費を商人たちが割合して出金するのであるならば、旗本役人に防衛の出張願いをするよりも、その経費分を地域の困窮の者へ援助すれば、もし他所から不埒な者が入り込んで襲ってきても、援助を受けたその者たちが防衛してくれるだろう。このような方策のほうが適切であると、その趣旨を商人たちへ篤々と理解するように申し聞かせた。

 

忠敬翁は、江戸から旗本役人を派遣してもらうより、その経費を地域内の貧民救済に当てた方が得策であると説得していたのです。旗本役人が駐留すれば、種々の命令が出されて手間も賄い経費も掛かります。支配側の駐在がなければ、地元の負担はなくなります。また、その経費を貧民救済に当てれば、地元の貧民に感謝されて地域内の秩序が安定します。さらにそのような貧民たちが、村外からやってくる打ちこわし勢力の楯となって地域防衛になるというものです。地域の貧民救済活動が、いわば「一石三鳥」の効果があると考えていたのです。

じっさいに佐原では、旗本役人の派遣もなく、忠敬翁ら富裕人が協力して救米・救金の施行を展開し、天明の飢饉状況を無事に乗り切ることができました。ここには、商人的な合理主義を働かせ、支配権力に依存せず、地域秩序維持を図る自治的な精神がよく発揮されていたのです。

(酒 井 右 二)

<参考文献>

小笠原長和「人間 伊能忠敬」(『伊能忠敬書状 千葉縣史料近世篇文化史料一』千葉県1973年)

小島一仁『伊能忠敬』三省堂選書1978年

酒井右二『近世在方町佐原の歴史的特性』香取市水道建設部都市計画課2016年