【伊能忠敬の略歴 *年齢は数え年】
連載第1回は基礎情報として佐原時代の伊能忠敬翁の略歴を紹介いたします。
延享2(1745)年 上総国山辺郡小関村(九十九里町)小関家に出生。
宝暦1(1751)年 7歳 父の実家である上総国武射郡小堤村(旧横芝町)神保家に復籍。
◆佐原時代
宝暦12(1762)年18歳 下総国香取郡南中村(多古町)平山家の養子分となり、直ちに佐原村伊能三郎右衛門家の達(ミチ)の後配として入婿。
明和3(1766)年22歳 凶作に際して米銭を出して窮民を救済する。
明和6(1769)年25歳 江戸新川に薪問屋の出店を開く。翌年、出店が類焼により薪7万駄を焼失。
明和9(1772)年28歳 河岸問屋株の設定に抵抗して、勘定奉行と交渉。
安永9(1780)年37歳 薪荷に対する百分の一税の取立に反対して、天明2年まで勘定奉行へ訴願活動を展開。
天明3(1783)年40歳 浅間山噴火、利根川洪水で凶作。利根川堤防修築に活躍。天明飢饉に際して救米・救金を出す。
寛政2(1790)年46歳 仙台藩医桑原隆朝の娘である信(ノブ)を後妻に迎える
寛政5(1793)年49歳 隣村津宮村の文人久保木清淵らと関西へ旅行した際に、すでに方位や緯度を計測していた。
寛政6(1794)年50歳 隠居して、家督を嫡男景敬へ譲る。
※翌年江戸深川黒江町へ居住、幕府天文方高橋至時へ入門。
◆測量期間
寛政12(1800)年56歳 蝦夷地測量に着手、以後15年間わたり全国測量へ。
文政1(1818)年 74歳 死去。年後に『大日本沿海輿地全図』(伊能図)完成、幕府へ上呈。