○国家的偉人となる忠敬翁

伊能忠敬翁や伊能図の存在は、 幕府の当局や忠敬翁の周辺にいる学者の間ではその功績が評価されていたものの、江戸時代の多くの人びとにはほとんど知られていませんでした。

しかし、明治時代になると、忠敬翁は多くの人びとによく知られる人物になりました。その始まりは、大須賀庸之助香取郡長ら地域の人びとが明治政府に働きかけ、伊能図の有用性が認められ、それを作った人物として評価され、明治16年2月27日、「正四位」の位が与えられました。これによって、忠敬翁は「国家的偉人」として認定され、その後、「修身」の国定教科書にも取りあげられ、忠敬翁は偉人として全国的に著名な人物となりました。その人間像は「勤勉」の象徴とされ、「精神一到何事カ成ラザラン」とその徳目が強調されました。

 

贈位記 (伊能忠敬記念館蔵)

修身の国定教科書(伊能忠敬記念館所蔵)

修身の国定教科書(伊能忠敬記念館所蔵)

 

○時代とともに再評価される忠敬翁

戦後の民主化が進むなかで、昭和23年、忠敬翁百三十年祭が催されました。佐原町の伊能源太郎初代公選町長は、その趣意書の中で、日本の敗戦の原因は「日本人が自分の頭でものを考えることを知らなかった」と捉えて、忠敬翁の人間像を「自分の頭でものを考える人」と評価しました。

伊能忠敬先生百三十年祭趣意書(伊能忠敬記念館所蔵)

伊能忠敬先生百三十年祭趣意書(伊能忠敬記念館)

1970年代になると、忠敬翁の自筆書簡が『千葉縣史料』(1973年)で翻刻されました。その解説で小笠原長和千葉大教授は、几帳面な面ばかりでなく、佐原の実家の経営や孫の教育に熱心な姿や、持病や歯痛に苦しみ、豆腐や醤醢を食べてしのいだりする様相を提示し、偉人から人間味あふれる忠敬翁像を紹介していきました。さらに作家井上ひさしは、忠敬翁を主人公とした小説『四千万歩の男』(1976年~)を著し、隠居後に新たなことにチャレンジし「一身にして二生を経る」忠敬翁の生き方に着目し、高齢化と生涯学習化が進む現代社会の生きる指針として再評価していきました。

伊能忠敬自筆書簡(伊能忠敬記念館所蔵)

伊能忠敬自筆書簡(伊能忠敬記念館所蔵)

井上ひさし著 『四千万歩の男』 講談社文庫

井上ひさし著 『四千万歩の男』 講談社文庫

 

○地域おこしの視点から忠敬翁の事績に学ぶ

また最近では、伊能忠敬研究会をはじめ民間団体の活動や、小学校学習指導要領の人物史学習の対象としてもとりあげられるなど、ますます忠敬翁は多くの人びとによく知られた人物となり、再評価が進展しています。

忠敬翁が成人期の前半生を過ごした佐原では、地元の研究者であった小島一仁が『伊能忠敬』(三省堂選書1978年)を著し、佐原村時代に力点をおき、地域で暮らした忠敬翁の事績を明らかにしていきました。忠敬翁は、佐原の豪家であった伊能家の当主として、また名主や村方後見にも在任し、幕藩体制の解体が進む近世社会に地域指導者として生きていきました。このホームページのコーナーでも、小島前掲書が力点をおいた視角を継承しながら、在方町佐原に近世人として生きた忠敬翁の見識や活動に学び、今日の地域おこしの指針を探っていきたいものです。

(酒 井 右 二)